金剛塔の内部に設けられたこのエリアでは、椙山女学園の創始者である椙山正弌・今子(すぎやままさかず・いまこ)の人と生活を知ることができます。
明治12年岐阜県に生まれる。女子教育を志し、裁縫教育先駆けの東京裁縫女学校(現、東京家政大学)の入学を希望するが、男子であることを理由に入学を断られる。その後、熱意が認められて校長の門下生となった。明治38年には、妻・椙山今子と共に名古屋裁縫女学校を設立した。人づくりこそが教育の礎であるという椙山女学園の思想は、「人間になろう」という教育理念として、今も受け継がれている。
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【外観】
正弌記念室は歴史文化館内の上階にあり、山添キャンパスにあった旧金剛塔を移設復元した内部にあたり、愛用の品々によって正弌・今子夫妻の生活が偲ばれます。
【写真】
在りし日の椙山正弌・今子夫妻。
【書】
正弌は書、今子は墨絵を好み、共通の趣味は書でした。練習書きなどが多く残っています。正弌による書が描かれた記念品も数多く出されています。また、歌人でもあった父・正明とともに和歌に親しみ、その作品が残されています。
【岐阜県小学校学事法令】
明治35年出版の正弌の最初の著書(複写)。現物は国立国会図書館に所蔵され、近代デジタルライブラリーに掲載されています。
【今子製作の小物入れ】
今子は端切れ布で財布や小銭入れ、櫛ケースにいたるまでさまざまなタイプの小物入れを作成しました。今でも充分使えるほどの完成度の高い製作品が多く残っています。
【型紙】
足袋や洋服など身につけるものは全て自分で作っていた時代であり、今子が作ったものの型紙が多く残っています。
【衣服】
正弌愛用の衣服。
【茶道具】
正弌愛用の茶道具。著名な茶人である森川如春庵等との交流もあり、正弌本人もお茶を楽しんでいました。
【家の見取り図】
今子自作の見取り図のメモ書きです。展示の家具類は、全て図の右端の部屋のものです。